5.10 『KEEP STUDYINGだよ!__くん。』

今年に入って、学生時代1番の恩師が、そして十代の頃から、

ハンコックと並んで僕のアイドルだったチック・コリアが、

さらに先月末、

2週間ほど前に僕のジャズ系のプレイやアレンジを学んだ恩師の一人、和泉宏隆氏が亡くなった。

二十代初め、和泉さんからはスタジオワークを中心に学んだ。

でも、ほとんど具体的に教わったことより、

音楽家として生きていく姿勢を教えてくれた人だった。

どんな時も『先生』とは呼ばせなかった。

それでもよく先生と言ってしまうと、

『先生と呼ばれるほどの馬鹿は無し、って川柳を君は知らないのか!』と必ず怒られたものだった。

ファンの方には『陽気で面白い』和泉さんだったろう。

でも、僕の記憶にある和泉さんは『陽気で面白い』人ではほとんどなかった。

弟子の僕には厳しく、時にひどく辛辣で、毒舌家だった_,

少なくとも当時の僕には。


まだ小さな断片だったテーマをオーケストラに無理やりアレンジして持っていき、

『僕はオーケストラの曲を書きたいんです。』って言ったら、

『この程度のテーマをオケにしちゃダメだよね、、。』と言われたこと、

幾度となく行った西麻布の実家の作業室_Yamaha C7と所狭しと置かれたCD、Mac、階段の壁に掛かったゴールド・ディスク、

今はなき渋谷のヤマハ、

恵比寿の焼肉屋に連れて行ってもらったとき、

『いつか君に奢ってもらうためにね』と言われたこと、

南麻布のバーに連れて行ってもらい、

帰り際、もう自分の飲めなくなったグラスを見て、

『残したら店に失礼だぜ』っとグイッと飲み干した姿_、

黒いVOLVOなどなど、どっと思い出が溢れる_。

僕が My Fooliosh Heart をオリジナル曲のdemoテープと一緒にソロで弾いて録音して持って行った時、珍しく上機嫌で、

『銀座のバーに売り込みに行こうか?酒飲みながら聴けたよ_。』といつになく嬉しそうに言ってくれたこと、

彼のアルバムのレコーディングのために、数曲を頼まれてスコアし、必死でDATから起こしたりしたことなどなど_

忘れられない_。

その後、僕はオーケストラのことに集中するようになってしまい、

音楽的にも、物理的にもあわなくなってしまった。


最後に会ったのは5年ほど前。

千葉の柏でライブがあるというので一人で出かけ、久しぶりに演奏を聴いた。

__短い再会もした。


昔から60には死にたいと言っていたなと思い出す_。

本当にそうなった_。62だったけれど。

彼に学んだ1番のこと、そう、会えば必ず言われたことは

“KEEP STUDYING_”だよ、ということ。

今でもあの声を昨日のことのように思い出す。

自分の音楽家としての姿勢はこの一言に尽きる気がする。

いつも僕の前で口にしていた言葉だった。

今使ってる筆入れには、

DO NOT STOP LEARNING

の文字_これを買うときも恩師の言葉が心の底にあった。

そう今も__。



少し前、夢を見た。

なぜかライブ会場に恩師と一緒に行き、客席に座り、

夢の中ではもうこれが会う最後になるとわかっていて、僕が言う、

『何か記念にください』


すると恩師が黙って銀の大きな首飾りを外して僕にくれた_。

と、立ってピアノの向こう側にいく。

女の人の声で『一番弟子だからくれたんだよ__』という声が聞こえる。

僕は、その大きな銀の首飾りを見つめながら心で

『制作を手伝ったあのアルバムにサインしてもらおう』と思う。

見るとピアノの向こうでなんともいえない寂しげな表情で僕を見ていた。


死ぬ前にもう一度、ゆっくり音楽について飲みながら話したかった_。

僕の知る和泉さんは音楽を、そして特にピアノを本当に愛していた人だった。

そして僕にどんな時も『自分の耳から学ぶことの大切さ』と『歌うこと』の大切さを教えてくれた一人だった。


和泉さん。お世話になりました。

相変わらず、KEEP STUDYING の毎日です。

またいつか素晴らしい音楽を一緒に_。