7.8『Sincerity_本当の誠実さ 』

最近思う、

どんな人生もそれぞれ、

成長の目的があって、

人生を比較することなんて全く意味のないことだな、って_。

ほとんどが、たとえそれがどんなに身近な人であったとしても、

他の人の目には全く見えない形で、

その人だけの成長や達成を持ち、

進み続けている、と。


先日、久しぶりに夜、実家へ帰った折、

母が毎日続けているという滑舌の練習の『外郎(ういろう)売り』という朗読を聞いた。

身内ながら、母は実に根気強い。

短歌も書いていて、もう何十年も日々製作しつ続けている。

母の巧みな朗読は小さい頃から舌を巻いたものだったが、

数年前に聞いた時より、技術が確実に上がっているように感じた。

それに短歌製作したそのノートの数の多さと言ったら、半端ではない_。

いつも思うのだけれど、母のこのひたむきさがどれほど自分に影響したことかと思う_。


手を壊し、それを人に言えずに7本指でピアニストとして20年以上も弾き続け、

家庭教師や塾講アルバイトをしながら悶々としていた頃、

よく人のコンサートの譜めくりの仕事をこなす中で、心の中で叫んでいた_、

『自分だって、音楽家だ_!』

手を直したい一心で、6時間も同じ音を、

カールしてしまう指で弾いていたあの頃_。

人から見れば笑ってしまうくらいの、

ほんの少しだけ上がるようになった指に、

『どんどんよくなってる』と自分を鼓舞し、

そのわずかな成長ぶりに、こころから歓喜していたものだった_。


あの経験を通して、今のぼくがいる_。

難病も25年かかって、ついに克服し、ショパンのエチュードが弾けるまでに戻った。

その経験から、今、改めて思う_。


比較に全く意味はない。

全ての人がとても大切な存在であって、

他の誰も代わりはできないし、

その人だけの大切な経験の道を、

深い自身の目標に向かって

それぞれが、まさに『人知れず』歩き続けている。

_みんな違っていい_。

だからこそ全ての人が

ユニークで大切な存在なんだ、と_。


そんな経験から、

以前にも同じようなことを書いたけれど、

僕はどんなレヴェルでもフィールドでも、

できるだけジャッジすることを避けるようになった。

表面的なこと_他人にそれとわかることからでは、

全く人は計れないからだ。

本当に、全く_。


そして何より、僕らはジャッジするためではなく、

喜び_学び、変化成長するために生きているのだ、と僕は信じている_。


どんなことも、心を静かにしてあるがままを、

ジャッジを加えずに見つめること以上に大切なことはないと、僕は思う。


そもそも社会的な基準と呼ばれるものであったり、

善意からのものであっても他人の刹那的な判断や期待は、

自分の中の真実とはまるで違うものだ。

でもよく、その発言を聞いていて、社会やメディア、果ては有名人の発言やクライテリアを自身のものと混同したり、

周りの期待や希望に沿うために、

自分の本当の深い真実に向き合うことを後回しに、

あるいは完全に無視しているのでは_と思わされる時がある。


『本当の深い自分は何を感じているだろう?

信じているだろう_?

何をしたいだろうか?』


この他でもなく自身への誠実な問いかけは、どんな時も私たちの成長への大切な第一歩ではないだろうか。


思いやりを持つこと_、


同時に、恐れず自分に誠実に生きること_、


そして、自分を信じ抜くこと_、


その大切さを思う。


_自分を信じて生きることは、

何も著名なアスリート達だけの特権などではない。

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