2.x

先週、不幸な結婚生活を送っていた心優しい友人の話や悩む同僚ミュージシャンたちの話を聞いた_。

社会的な体裁を考えて、一人じっと耐え続けていたという話を聞き、どうしても書きたくなった。


そんな話は真新しい話じゃないし、本当によく聞く。

今の時代、マスコミやらコメンテーター、果てはコメディアンまでが、

人のスキャンダルや失敗を鬼の首を取ったように、ここぞとばかりに取り上げては、神妙な面持ちで責め立てる。

でも、当人しか決してわからない事を、どうしてこうも平気で語り、裁けるのだろう_?

そもそも、本当の真実など外からは誰にも判る由もないというのに。

なぜ、善悪の構図にしてしまうのか。


あなたは失敗を、一度もしたことがないのかと聞きたくなる。

赤ん坊は何度も何度も転びながら歩くことを覚えるものだ。


『成長』にあって、『比較』は全く意味がない。

__どころか、時に良かれと思ってなされる『比較』のトゲが、

拭いがたい劣等感や無力感をさえ、心の深部に植え付けてしまう。


昔、高校生相手に塾講師をしていた頃、一体幾度そう言った子供達を見たかしれない_。

あるいは、コンクールを目指して全身全霊でやっていた子供・青年が、

入賞できなかったり、先生の思うように行かない中で底知れない劣等感をもち、

音楽を愛する心を忘れてしまい、喜びを全く感じなくなってしまう姿_、

本当に自分が好きなことに無意識のうちに蓋をしてしまう姿を幾度、見たり聞いたりしただろう_。


長い年月の中で、親や教師たち、

果てはランク付けしたがる社会の影響を受けて、

ある『合理的な』信念や『勝ち負け』といった、事の優劣を決めたがるジャッジの性質だけが、事さらに強調されながら、築かれていく。

そうなってしまうと、もう、外からどんなに言って見たところで、

その凝り固まった価値観やフィルターから抜け出すのは容易でなくなる_。

これは、全く教育や音楽に限ったことではないと思う。

本当の喜び、遊びを忘れてしまうのだ。


僕は何をするにも、英語の

Spontaneity(スポンテイニアティ)を大事にしている。

これを日本語にしてしまうと、ただ『自発性、自然発生的なこと』ということになるのだけれど、

英語ではもっと幅のある、奥行きのある立体的な意味だ。

自分に聞き、心の直感に従って生きることを最優先にするような生き方_、かもしれない。

それは何も大きな人生の選択を言っているのとは違くて、

道を歩いていて、美しい花を見つけ、

ただ見つめる時間を自分のために取ることだったり、

決めておいたルーティンの時間を今日は変えて見たり、

いつもとは違うやり方をやって見たくなってそれを優先してみたり、

時には、全てほったらかして好きな音楽を聴きながら、ゆっくり散歩に出かけたり_。

ある決まったフレームから一歩抜け出して、

今の自分を信じて生きること_と言えるかもしれない。


創造性を発揮するには、まず一人一人、自分自身に真実であることが最も大事なことだと僕は信じている_。


創造のための原動力たる好みや違いは、

その人だけのユニークなタイミングと方法で、

変化しながら培われるものだと思うからだ。


他人にとって完璧な、正しい自分を気にしていては、何も生み出せない_。


何よりその時、自分の本当の深い直感が、二の次になってしまうからだ。


僕は、自分の人生で挫折や失敗を__、

手の難病にはじまって、幾度も経験した。

最終的には、実際に一歩も歩けなくなるほどの苦しみと不安に襲われる経験もした。


__でも、だから今の自分がある。


失敗の人生などありえない_。

比較し、人にレッテルを貼って喜んでいる人には、そうさせておけばいい_。

常にジャッジしたがる人にはさせておけばいい_。


人は常に成長し、変化し続けるものだと僕は信じている。

どんな人生も、常に自発性を持った、

貴重な成長と気づきの連続なんだと思う_。

そこには、人がどう思うかじゃない、

外からは決して分からない独自の大切な成長の道がある。

それは常に光に溢れた道だ。


それに本当に強い人は、どんな人のうちにも、愛と希望を見出し、受け入れ、それから静かに手放す術を持っているものかなと思う_。


僕は、どんな時も、

成長し続ける仲間として_、

誰に対してもリスペクトを忘れない人生をこれからも歩んで行きたい_。